カメヲラボ

主にプログラミングとお勉強全般について書いてます

これはフィクションですって言っとけば大丈夫だよね!

フィクションだからね!!

混濁の鎮魂歌

1.糞火

授業中、一人の女子生徒が駆け込んできた。


「せんせ」
「どうしたの?」
「といれあふれてきた」
「えっ」


トイレに向かうとトイレの床が水浸しだ。生徒に声をかける。


「キミは濡れてない?大丈夫?」
「だいじょうぶ」
「そうか、じゃあ教室に戻っていて。気にしなくて良いから」


ひとまず、近くにあったタオルや雑巾を床に投げつけ足で踏みつける。
コピー用紙の裏に『トイレ故障中』と、右手に握っていた赤のマーカーで殴り書きし、扉に張り付けた。
うん。授業に集中しよう。そうしよう。
何事もなかったかのように授業を始めようとすると、一人の生徒が話しかけてきた。


「何かあったんですか?www」
「いや、ちょっとトイレが詰まっているみたいでね、水が溢れてきたらしい」
「えええwwwキモいwwwww」
「見た感じだと、トイレットペーパーの流し過ぎみたいだなぁ…。」
「あwwわたしもwそれwwよくやってwwwお母さんにw怒られるwwww」
「(完全にお前やん)そ、そう…。とりあえず直るまでは立ち入り禁止ということで」
「了解っすwww」


そういえばこの子、やたらトイレに行くし、そのたんびにトイレットペーパーを激しく巻き取る音が響いてくるよな。
教室の扉閉め忘れて授業してたら、ガラガラガラガラ!って轟音がしてるもんなぁ。


うん、完全にお前だ。


…と本人に言うわけにもいかず、生徒たちにはトイレが故障中で使えないので気をつけてという内容の話だけをして一日の業務を終えた。
さすがにアルバイトや他の先生にさせるのも気の毒なので、全員が帰った後、一人で現場に行くことにした。

溢れた水はタオルやら雑巾で吸い取られ、これらをビニール袋で掴んでまとめて処分することでスッキリ片付いた。
水量も少し減っているようで、いくらかは流れている。これなら詰まりさえなんとかすれば大丈夫だなと思い、
バケツの水を使って溢れない程度に水圧をかけ、詰まりを解消しようと考えた。


バシャ!


うん、なんとなく流れている!この調子だ!そう思った瞬間、ゴボゴボゴボとものすごい音が聞こえた。
しかも便器からではなく、トイレの外から。外に出てみると、洗面所に設置された室内洗濯パン(洗濯機を置くところ)の排水口から大量の汚水…!
幸い洗濯パンにはいくらかの深さがあり、汚水はその範囲に留まっている。
しかし、そこに広がる茶褐色の海を目の当たりにした私は、寒気と吐き気に襲われ眩暈した。今日はもう駄目だ…!撤退!!


晩ごはんはハヤシライスだった。
食べずに眠った。


2.決戦

昨日放り出した仕事を片付けながら、ハヤシライスを食べる。
朝から雨が降っていた。
ゴミ出しに出かけると、ごみは収集された後だった。今日はイヤな日だ。
しかし行かねばならない。
早朝から降り続く雨はさらに強くなった。折れそうな心に重くのしかかる。こんなに憂鬱な日はいつ以来であろうか。


コーヒーショップに立ち寄り、ホットのカフェモカを注文する。
少しの間だけ、忘れよう。
口を付けずに、ただ行き交う人々を眺める。
飲み終わることが、現実にもどることと同じように思えたのだ。
少し時間が経って、雨足が弱まり、日が差してきた。


…やらねばならない。


決断の時が来た。冷めたカフェモカを一気に飲み干し、店を飛び出す。
ゴム手袋・雑巾・ラバーカップ・配管洗浄剤・漂白剤・トイレ用洗剤・ゴミ袋・スポンジ・古紙……装備は完ぺきだ。
すべての換気扇をONにしておいたお陰か、扉を開けてもそれほど苦痛ではなかった。


今の自分は落ち着いている。きっとやれる!


自分を奮い立たせ、扉を開けた。
洗濯パンに広がる海は干潮を迎えていた。
今にもムツゴロウが顔を出しそうな干潟にはトイレットペーパーの塊が覗き、強烈な異臭を放っていた。
状況は惨憺たるものだが、予測の範囲内ではあった。


まずは室内のすべてのモノを室外に移動させた。
上着を入れるために買ったロッカーは、一人で運ぶにはとても重く、一息で10センチメートルずつ、
半ば引きずるようにして動かしながら、とにかく無心でいることを心がけた。
そうしなければ、涙が溢れそうになるのだ。


すべての荷物を運び出し、大量の古紙を持ち運んだ。
瓦礫を撤去するには、ある程度の強度を持ち、それでいて使い捨て出来るものが必要であった。新聞紙は柔らかすぎる。
そうだ、コピー用紙だ。裏紙ボックスから大量に用紙を取りだし、数枚を束ねてさらに二つ折りにしたものを左手に、
四つ折りしたものを右手に持ち両上段で構える。勝負だ。


勝利は確信していたが、思っていたよりも水分が多い。
十分に水気を切りながら始末していくには相応の技術が必要であった。
無心で。慎重に。慎重に…。完ぺきな戦略であった。
イメージ通りに事が進んでゆく。…あともう一息。そう思った瞬間、雑念が生まれた。
早く終わらせたいという潜在意識が、少しだけ左手の動く速度を速めた。


ピチャ


鼻先と唇に冷たいものが触れた。
両手のゴム手袋を脱ぎ棄て、ティッシュペーパーを探す…無い。
教室に飛び込む…無い。
自分の机に向かう…無い。
半狂乱に陥り、辺りを駆け回る。ほんの数十秒が、とてつもなく長い時間に思えた。
自分の荷物の陰に隠れたティッシュペーパーの箱を見つけ、何度も顔を拭く。
洗面台の排水管と下水管は繋がっていて、水を出すことができないのだ。


何度も何度も口元を拭きながら、発狂しそうになるのを必死に耐えた。
落ち着きを取り戻してから、同じ過ちを犯さぬよう、丹念に処理を進める。20分で作業の第一段階―瓦礫の撤去が完了した。


第2段階は詰まりを無くす作業だ。これには最も危険を伴う。
下水管の詰まりを除去する方法は大きな圧力を短時間で加えなければならない。
加える圧力の方が詰まりの強さより大きければ私の勝利だ。しかし圧力が足りない場合、
自分の攻撃を自身で受け止める羽目になる可能性がある。
もしそうなれば、先程の失敗とは比較にならないくらい大きなダメージを受けるどころか、
下手をすれば近隣に損害を与える結果にもなりかねない。


まずは最も汚染された洗濯パンだ。慎重にラバーカップをセットしつつ、
爆発の可能性がある穴という穴を丹念に塞ぎ、祈りを込めて最初の一撃を加える。


グボォ


確かな手ごたえがあった。
感触を確かめると同時に、他の火口を見渡し噴火の兆候を探る。
噴火は無さそうだ。これは行ける!続けて第2、第3の攻撃を加える。
いいぞいいぞ!第4撃の瞬間、汚水が飛び散った。
幸い、横方向への飛散だったため、悲惨な結果にはならなかった。
しかしまたしても気の緩みが大事故を起こしそうになった。冷静にならなければ。


別の火口からも圧を加えることにする。
次はトイレ本体だ。おそらくここからの攻撃で決まる。
失敗すれば洗濯パンから大噴火が起こる。
一度深呼吸し、洗濯パンを横目で見ながら左手を押しこむ。


ゴボォオ


さっきより手ごたえが大きい。やはりここなのか。
一回一回、ラバーカップの位置を確認して、確実に圧を掛ける。数回繰り返したところで、手ごたえが無くなった。
洗濯パン側からやってみても、やはり手ごたえはない。


戦いは終わった。


私は勝利をかみしめながら、洗面所、トイレの清掃を丹念に行い、昨日からのことを振り返る。
孤独な闘いであった。すべてが終わった時には、正午を1時間以上も過ぎていた。
自宅に帰って風呂に入り、着替えてこよう。


外に出ると、雨は降り続いていた。