カメヲラボ

主にプログラミングとお勉強全般について書いてます

超絶おっさん論

男が目指すものは2つのうち、いずれかである。
神か、超絶おっさんか。

神になるには、とてつもない能力と実績、神秘性、カリスマ性が求められる。能力とか実績とか、頑張ってどうにかできる部分もあるのだろうが、こんなところにこんなアホな文章を垂れ流している以上、確実に神秘性とは真逆の方向へ進んでいるとしか考えられない。私は神になれない。そもそも、そんなものになりたくはない。

私が目指すのは超絶おっさん。超絶おっさんは絶えずギラギラ、ムラムラしていなければならない。ちょっとアホでなければならないが、無学ではいけない。いかなる時も、ウマイたこ焼きを焼く事が出来なければならない。年を追うごとに攻撃性と熱気を増し、超絶おっさんとしての人生は大体40歳くらいから始まる。それまでは準備段階だ。
40までにやっておかなければならない事。ある程度の実績を残す。それは事業でも、著作活動でも、なんでもかまわない。勉強は毎日欠かさず行い、しんどいことを出来るだけたくさん経験しておくべきだろう。
何か特別なこだわりを持つ事も重要だ。「こういう考え方もある。ああいう考え方もある。」などと、知識人風の言動は禁物だ。何が好きで何が嫌いなのか、何がカッコ良くて何がダサいのか。自分感じる事を明確に表現しなければならない。

そして一番大切なのは『自分が踏み台になる』こと。ヒトは、自分が他人より劣っていると思われるのを激しく嫌う。自分の弱いところを隠して、他人の顔色を伺いながら、大人しく傷つかぬように生きている。年を取ればとるほど、大人しくなってゆく。そんなおっさんを若い人間が見たらどう思うだろうか。
少なくとも私は、そんなおっさんに何の魅力も感じないし、尊敬も出来ない。嫌悪感すら沸かない。要するに「何も感じない」のだ。

おっさんというのは、人間の一つの『型』である。人間は、『型』をすり抜けて、自分の形を造ってゆくのだ。形の無い『型』を通ったところで、何も出来ない。超絶おっさんという強烈な『型』を、自分より後の世代に示す事が必要なのだ。それを受け入れるかどうかは、本人達が決める事であり、「ためになる・ならないなんてことは考えていてはいけない」

少なくとも、自ら進んで『型』にぶつかろうとする人間は、将来もっとすばらしい人間の『型』を作ってくれるに違いないと、私は信じている。そのために、私は自分の経験・知識・アイデアを惜しみなく出力していきたいと思う。超絶おっさんに一歩近づくために、超絶オッサンを超える、超絶オッサンⅡを生み出すために。。。